府八幡宮の紹介

概要

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 府八幡宮は、天平年間(729〜748年)に遠江国司(現在の知事にあたる)であった天武天皇の曽孫桜井王(さくらいおう)が、遠江国府の守護として赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと府内に奉られたのが、始まりです。

 遠江国府は、最初に現在の二之宮・御殿地区に勧請(かんじょう)され、その後、見附地区に移転されるまでの間、一時、府八幡宮内に置かれていた、と伝えられています。

 寛永12年(1635年)に建立された楼門(ろうもん)は静岡県の文化財に、中門・本殿・拝殿および 幣殿は市の文化財に指定されています。境内の建物の多くは、江戸時代に建造されたものです。

<国 府>こくふ 
 国府は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所や都市を指す。国衙ともいいます。

<国 司>こくし
 国司は、古代から中世の日本で地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で四等官である、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す。郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にありました。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持っていました。

 

位置

位置
JR磐田駅から北に向かって伸びる真っ直ぐな広い道を、左右の商店街を見ながら、徒歩10分ほどで神社の大鳥居の前に着きます。街中にありながら、青々と繁る鎮守の森に、太古からの自然の姿が神々と共に封印されています。周辺には、市役所・税務署・郵便局・国分寺跡・磐田南高校・磐田農業高校などがならんでいます。
由緒
奈良時代の聖武天皇(在位724年〜749年)のころ、「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に着任しました。
王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を建立しました。国府のあるところの八幡宮であるから、「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は「府八幡宮」が正式名称です。地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“中泉の八幡さま”とも呼んでいます
祭神
本殿に祭られている神様(祭神)は、つぎの3柱です。
誉田別命 (ほんだわけのみこと。応仁天皇「主祭神」)
足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」)
本殿
最初に建立されたのは奈良時代ですが、何度も作り変えられ、現在のものは、江戸時代初期(元和3年=1617年)に再建されました。再建をした願主は、2代将軍、徳川秀忠の娘の和子(まさこ)で、後水尾天皇の皇后となって、東福門院と呼ばれた方です。徳川家康の孫娘によって再建されたのは、本社の神主であった秋鹿(あいか)氏が、家康と並々ならぬ深い関係があったからです。
桜井王
聖武天皇が命じた国分寺が磐田にできたことと、本社が隣りあって創建されたことは、創建者の桜井王と聖武天皇のお二人が遠く離れていても、深く心がつながっていたことを感じます。それを物語る贈答歌が「万葉集」巻8-16 14・5に載っています。その歌碑が本社の境内南東に建っています。贈答歌は次の歌です。
遠江守桜井王の天皇に奉れる歌1首
九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも
(九月の初雁の使いによって、私のお慕い申し上げる気持ちは、天皇のお耳に届かないものだろうか)
天皇の賜へる報知(みこたへ)の御歌1首
大の浦のその長浜に寄する波ゆたけき君を思ふこのころ
(大の浦の長々とした海岸に寄せる波のように、心ゆったりとおおどかな気持ちで、あなたのことを考えているこのごろです)位置
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 JR磐田駅から北に向かって伸びる真っ直ぐな広い道を、左右の商店街を見ながら、徒歩13分ほどで神社の大鳥居の前に着きます。街中にありながら、青々と繁る鎮守の森に、太古からの自然の姿が神々と共に封印されています。周辺には、市役所・税務署・郵便局・国分寺跡・磐田南高校・磐田農業高校などがならんでいます。