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境内はおよそ1万坪あり、緑に覆われています。古くは「黒山の府八幡」とか「天平の社」と呼ばれ、「静岡県の森百撰」にも選ばれています。 一般にお社と呼ばれている建物に神様が鎮座しておられ、その前で種々のお供え物をしてお祭をします。神様がおられるところを本殿、礼拝するところを拝殿、本殿と拝殿の間にあるのが幣殿で、神様にお供え物をし、神のお姿を目で確認する、象徴的な鏡や御幣があるところです。
最初に建立されたのは奈良時代ですが、何度も作り変えられ、現在のものは、江戸時代初期(元和3年=1617年)に再建されました。再建をした願主は、2代将軍、徳川秀忠の娘の和子(まさこ)で、後水尾天皇の皇后となって、東福門院と呼ばれた方です。徳川家康の孫娘によって再建されたのは、本社の神主であった秋鹿(あいか)氏が、家康と並々ならぬ深い関係があったからです。
幣殿は拝殿の中にあり、むずかしい言葉で言うと、幣帛(へいはく)を奉奠(ほうてん)する社殿。 幣帛は神前に捧げる供物のことで、紙を切って木にはさんで垂らした御幣(写真参照)のことでもあります。御幣は神様の象徴で、小規模なお祭にも使われる身近なもので、庶民の食べ物のゴヘイ餅は、これに似ているところからついた名前です。また、幣殿には鏡も神の象徴として祭られています。
拝殿は、お参りに来られた人がお祈りするところです。正面に賽銭箱が置いてあり、お賽銭を投げ入れ鈴の紐を振って、神様にお知らせします。二礼二拍手一礼して、願いごとをとなえます。お賽銭とはなぜ投げ入れるのでしょうか。「自分の大切なものを投げることは、それに厄をつけて、身と心を祓い清めてしまう」という意味があるそうです。 現在の拝殿は、寛永年間から延宝4年(1676年)に建立されましたので、3百数十年前の貴重な建物です。
楼門は二階建ての門のことです。現在の楼門は、寛永12年(1635年)に境内の一連の建物ともに、徳川家によって建立されたという説があります。
楼門の左右に、櫛石間戸神(くしいわまどのかみ)と豊石間戸神(とよいわまどのかみ)の随身が衣冠束帯をまとい、威儀を正して神々を守るために座っています。
楼門をくぐると石垣に囲まれた長い参道があり、石灯篭のあいだを進むと、寛永12年(1635年)に徳川家の援助によって整備されたという説がある中門があります。
拝殿から西北に進むと、東照宮の社殿があります。東照宮とは徳川家康をお祭する神社で、祭神はもちろん徳川家康。 末社とは、本社に付属する小さな神社で、東照宮をはじめたくさんの末社がまつられています。
拝殿の両脇に狛犬(こまいぬ)が一対向かいあっています。朝鮮半島にあった高麗(こうらい)から伝来した犬という意味で、神を守り悪を排除する獅子(しし)に似た聖なる獣です。
鳥居は、神社の入り口を示すだけではなく、神社のシンボルです。かつての東海道に面して大きな鳥居が建っていましたが、安政元年(1854年)の大地震で倒れ、今は境内の駐車場に残してあります。安政5年に再建されました。
今の社務所は、昭和4年(1929年)に造られました。 正面にお札場と事務室があり、会議や結婚披露宴をする大広間、中広間などがあります。玄関の屋根には、祭神ゆかりの鳩と神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰(たけのうちのすくね)の鬼瓦が乗っていて、府八幡宮の特徴をあらわしています。