由緒・祭神

由緒

由緒
奈良時代の聖武天皇(在位724年〜749年)のころ、「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に着任しました。
王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を建立しました。国府のあるところの八幡宮であるから、「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は「府八幡宮」が正式名称です。地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“中泉の八幡さま”とも呼んでいます
祭神
本殿に祭られている神様(祭神)は、つぎの3柱です。
誉田別命 (ほんだわけのみこと。応仁天皇「主祭神」)
足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」)
本殿
最初に建立されたのは奈良時代ですが、何度も作り変えられ、現在のものは、江戸時代初期(元和3年=1617年)に再建されました。再建をした願主は、2代将軍、徳川秀忠の娘の和子(まさこ)で、後水尾天皇の皇后となって、東福門院と呼ばれた方です。徳川家康の孫娘によって再建されたのは、本社の神主であった秋鹿(あいか)氏が、家康と並々ならぬ深い関係があったからです。
桜井王
聖武天皇が命じた国分寺が磐田にできたことと、本社が隣りあって創建されたことは、創建者の桜井王と聖武天皇のお二人が遠く離れていても、深く心がつながっていたことを感じます。それを物語る贈答歌が「万葉集」巻8-16 14・5に載っています。その歌碑が本社の境内南東に建っています。贈答歌は次の歌です。
遠江守桜井王の天皇に奉れる歌1首
九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも
(九月の初雁の使いによって、私のお慕い申し上げる気持ちは、天皇のお耳に届かないものだろうか)
天皇の賜へる報知(みこたへ)の御歌1首
大の浦のその長浜に寄する波ゆたけき君を思ふこのころ
(大の浦の長々とした海岸に寄せる波のように、心ゆったりとおおどかな気持ちで、あなたのことを考えているこのごろです)由緒

奈良時代の聖武天皇(在位724年〜749年)のころ、「桜井王」という皇子(聖武天皇の曾孫といわれている)が、遠江国の国司となって国府(国の役所)に着任しました。

王は、地域全体の平安を願って「府八幡宮」を建立しました。国府のあるところの八幡宮であるから、「国府八幡宮」ともいわれてきましたが、今は「府八幡宮」が正式名称です。地元の人たちは、親しさをこめて“八幡さま”あるいは“中泉の八幡さま”とも呼んでいます

 

祭神

本殿に祭られている神様(祭神)は、つぎの3柱です。

  • 誉田別命 (ほんだわけのみこと。応神天皇「主祭神」)
  • 足仲彦命 (たらしなかひこのみこと。仲衷天皇「父親」)
  • 気長足姫命(おきながたらしひめのみこと。「母親」)

 

桜井王

聖武天皇が命じた国分寺が磐田にできたことと、本社が隣りあって創建されたことは、創建者の桜井王と聖武天皇のお二人が遠く離れていても、深く心がつながっていたことを感じます。それを物語る贈答歌が「万葉集」巻8-16 14・5に載っています。その歌碑が本社の境内南東に建っています。贈答歌は次の歌です。

◎遠江守桜井王の天皇に奉れる歌1首

九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも
(九月の初雁の使いによって、私のお慕い申し上げる気持ちは、天皇のお耳に届かないものだろうか)

天皇の賜へる報知(みこたへ)の御歌1首

大の浦のその長浜に寄する波ゆたけき君を思ふこのころ
(大の浦の長々とした海岸に寄せる波のように、心ゆったりとおおどかな気持ちで、あなたのことを考えているこのごろです)

 

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